ゴキゲン中飛車の歴史

ゴキゲン中飛車の歴史


(1図)
Gote_Gokigen_Nakabisha_1.jpg
(初手より▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩まで;1図)

ゴキゲン中飛車の始まりである1図の形自体は、江戸時代の後期には既に現れていますが、長らく1図以降は▲2五歩△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金(参考図)と進行するのが普通で、現在で言う「ゴキゲン中飛車」には進行せず、対中飛車横歩取りと呼ばれる戦型や力戦形に進行するのが普通でした。

(参考図)
Tai_Nakabisha_Yokofudori_1
(1図以下▲2五歩△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金まで;参考図)

1図から▲2五歩△5二飛(又は▲4八銀△5二飛)とするのがゴキゲン中飛車ですが、勝又先生の「最新戦法の話」によれば、富沢先生も使われていたそうです。

同じく勝又先生の「消えた戦法の謎」でも紹介されている様に、有森浩三先生や木下浩一先生もかなり使われていましたが、当時はなかなか上手く行かなかったようです。

後に近藤正和先生がプロ入りして、この中飛車で大活躍して、ゴキゲン中飛車という名称が付き現在も大流行しています。


ゴキゲン中飛車に対する、当初の主な対策は、▲3七銀型の急戦、角交換型(丸山ワクチン)、▲2四歩からの急戦などでしたが、その後▲7八金型、▲4七銀急戦(二枚銀急戦)、▲5八金右超急戦、居飛車穴熊、超速▲3七銀戦法などの多数の有力な対策が出てきました。


関連項目







参考文献

勝又清和著;「最新戦法の話
勝又清和著;「消えた戦法の謎


  • 最終更新:2012-08-01 16:17:57

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